クラブの存在価値2007/12/24 08:56

昨年の基調講演の様子。演者は坂本和昭氏。

〔昨日、〕

久々に家族五人で夕食を囲んでいると、連休中、あまりに遊びほうけている長男の権ちゃんにパートナーが「権さん、四苦八苦という言葉を知っているかい?」と。「四苦とは・・・・」と言っている間に、次男で6歳の勘ちゃんいわく、「ボク、チックタックは知ってるよ」。一同、・・・・沈黙の後、笑。良い突っ込みです!

〔昨年の12月上旬に、〕

広島市で全国地域スポーツクラブサミットが開かれました(私もパネリストの一人として参加)。その時に「北の屋台3坪のマジック」というタイトルで、基調講演された坂本氏からHPとブログの案内が来ました。坂本氏が「先入観を打ち破れ」「不便がもたらすコミュニケーション」「一度訪れた人を十勝のファンに」など、おっしゃられたことを憶えています。

彼は帯広市の元、JC(青年会議所)出身者。JC時代、果敢にいろいろな仕掛けをして、「観光カリスマ百選」に選ばれました。奇しくも、今年、JCの大きな会合が開かれたと聞いています。行けば遠い北の極地も、ブログだとリアルタイムです。彼のブログの「今年の漢字」は、私も同感!皆さんも一度、覗いてみては。http://www.sakamoto-bs.com/

〔やらねばならないことは山のようにあるのですが、〕

仕事のスピードがダウン。連休モードになっています。気の合う仲間と過ごしたくなる、そんな時ふっと、「NPO法人 クラブレッツ」のことが頭に浮かんできました。明るくて、必ず人がいる、もしかしたら、もっとたくさんの人が笑い声が響き、賑やかに集っているかも・・・・「クラブの存在価値」って、そんな風に感じる人間の居場所になるのかもしれません。そう思わせるだけでも、「クラブレッツ」の存在価値が大きくなっているのかもしれません。

〔私達のクラブは、〕

本拠地も借りもんだし、そこにも常に人がいるわけじゃない。妙に寂しさを感じますが・・・・これからです。それぞれのメンバーは、それぞれの場所で奮闘していることは間違いない、この力が結集できる日が早く来るとよいなと思う今日この頃です。

トップアスリートの将来は?2007/11/23 22:21

この大会、次はいつ出られるかな?時間をかけて楽しんじゃいけませんか?

夕方五時ごろ、金沢に帰ってきました。

〔昨日の夜10時ごろ、〕

福井県の鯖江に入って、今日から開会された、バドミントンの全国シニア選手権大会へ出場してきました。30歳台のころ、金沢で開かれた大会に出場しているので、2回目の出場です。

なんとか1回戦ボツは免れましたが、すぐに第3シードと対戦。1ゲーム目は競ったんですが、2ゲーム目はあっさりとやられてしまいました(対戦した彼女達はベスト4入りしたとの情報が入りましたが)。練習不足やら技量のなさやら、反省です。

〔色々なことをやりながら選手も〕

するのは(特に指導をしながら)、ちょっと中途半端になりますね。楽しむだけのバドミントンではいけないのかしら、とも帰りの高速道路を走りながら思いながら・・・。いつも決断力のないwankoです。

〔その会場で、とても懐かしい友人に〕

会いました。以前、少しお話したインカレで3冠とってあっさりとバドを捨ててしまった彼女のこと。なんと、この大会に出ていたのです。この年齢にして全国シニアは初出場だとの事。本当に20弱年あまり遠ざかっていたようです。「もう絶対しない!」といっていたバドミントンをなぜ、彼女は再開したのでしょうか?

彼女は結婚・出産・子育ての後、地元に帰ってきたとき、地元で、「バドミントンの全国マスターズ選手権大会が開かれることになり誘われた」、それがきっかけと言っていましたが・・・。どんな気持ちの整理があったのでしょうか?

大会は5つの会場で、5歳刻みで30歳代から70歳代までの、男女ダブルス、シングルス、ミックスがあります。

〔今日の大会を見て、〕

この出場者の中には、本当に熱心に(毎日のように、仕事のように)練習に取り組んでいる人がいる。彼女達は「ニブレン」などもしている、ときいたことがあります。、「ご家族の方の理解があるんだな」と感じます。また「それじゃ、子どもに練習を毎日させようと思うのも無理も無いね。」とも・・・。

〔日本の学生トップアスリートや社会人トップアスリートから、〕

その専門競技を取ったら何が残るのでしょう?私たちが学生の時代には、勉強もそこそこに、毎日練習、遠征に行く彼らの姿がある、それでも立派?に卒業できると色々なところで漏れ聞きました。仕事もそこそこに切り上げて、練習というのも聞いたことがあります(すみません。もし、間違っていたらご指摘ください)。

そして、今、オリンピック選手のセカンドキャリアーの問題があると聞きます。 競技を終えた選手達に残っているのは、ぼろぼろになった身体だけなんてことはないでしょうか?そうだと、辛いな。もしそうであれば、多分、「トップ選手になることが、また、あり続けることが目標」であるから、なんでしょうね。現代の長寿社会、選手じゃない時間のほうが長くなることって中々気づかないですよね。スポーツ・ジャーナリストや指導者として残るのは、ごく限られた人なんでしょうね。

シニアの大会優勝者には、栄光と満足(すること自体は、生きがいづくり、友だちづくりにも)?、他にも何かあるはずですが・・・。一部の方かもしませんが、自己満足だけの世界ではなのかな、とも思ったり(大会出場者の方、ごめんなさい。それで良いとも悪いとも??)・・・。私の考えって、偏っていますか?

〔合衆国などは、〕

「学生は勉強しないと対外試合に出場できない。」と聞きます。先の世界陸上大阪大会でも、法学部に在籍、弁護士を目指している学生が優勝!というのも聞きました。マスター(修士号)やドクター(博士号)を持っている選手も多いと聞きます(スポーツに限らず、音楽アーティストも)。そして、メジャーリーグ選手などは、公益的立場が強いので「respect(尊敬)」されている、それがロッカールーム一つでも違うと。スポーツで生涯、メシが食えればよいのでしょうが・・・。

私はどちらかといえば、合衆国志向ですね。でした。と言った方が正確かも。私自身、決して、優れた選手でも、優れた学生でもなかったけど、一応、どちらもなりたいとイメージはしていましたね。いずれを選択しても、「自分の人生に悔いなし!」と思えればよいのですが・・・。 子どものスポーツ問題、実は大人のスポーツ問題でもあるのかも、と感じた一日でした。

感度良好!2007/11/07 23:09

手荷物検査の係りのお一人

〔今朝は〕

5時半に起床しました。そこは東京、品川です。早めの朝食にも既に外国人を中心に多くの方が集まっていました。このレストランは24時間営業といいます。夜中から朝5時半までは深夜料金。それ以降は通常の料金とのこと。

羽田空港も6時台だというのに人がいっぱい。どこから涌いてくるんでしょう。私もその一人ですが・・・。まさに、眠らない街なんでしょうね。

目標より早めに空港第1ターミナルに到着するも思わぬアクシデント(そんな、大げさなもんではありませんが)。7時20分初の飛行機ですが、早めに到着できていたので、よかったです。今回の会議出席者には、6時40分大阪発するというスーパーな方もいらっしゃいました。

〔アクシデントというのは、〕

手荷物検査の時。「感度上げた?」と思うぐらい、とんでもないものが反応していました。それを特定するために、ほとんどの荷物をかばんから出して、何回もX線撮影。

何に反応していたか、分かったときには「うそっ?」と思わず声をあげました。

お茶の懐紙を入れていた懐紙挟みの中の金属製の菓子切りだったんです。 これまで、こんなもので引っかかったことなどないので、びっくりのひとこと。

〔セキュリティチェックについては、〕

大学院生のころの思い出があります。

セキュリティチェックをする人たちの疲労度の検査です。なんと、成田空港に泊り込んでの作業でした。今から約20年前のこと(サバ読んでない??)。成田空港内の秘密のドアをいくつも抜けて、特殊な部屋に通されました。ドアには何も表示されていないので、一人で入るのも出るのも容易でないようになっています。暗証番号など、入力していたドアもあったかな?さすが、国際空港と感心した思い出があります。

〔「疲労」は当時、〕

なかなか定量がしにくいなどで未開の部分でした。当時は、オーソドックスに「膝蓋腱反射」や「フリッカーテスト」など、確かやったような記憶があります。セキュリティチェックの人を定期的に(1時間毎くらいだったと思います)一人ずつ測定しました。

泊り込んで行ったのですが、そのホテルがものすごく乾燥していたので、バスタブにお湯をはって眠った思い出があります。成田空港に行ったのはあとにも先にも、これまででは当時のみです。遠い日のことでした。

感度良好のチェックに若干閉口しつつ、定刻どおりの出発に充分間に合いました。

〔空港からの帰宅時に、〕

今日の10時からの俳句教室の兼題「神の留守」の俳句を作るために安宅神社に立ち寄り、途中で美川でバドミントンのシャトルコックを購入した上で、一旦帰宅。それから、句会、クラブレッツの指導に向かいました。

〔クラブレッツでは、〕

シニア層の記事を掲載している「美しい星」の取材を受けました。このところ、教室の参加率も比較的良く、皆さんに助けていただき楽しい雰囲気で教室を勧めることができました。どんな顔して写っているのやら、雑誌の完成が楽しみです。

会ってしまった!会えてしまった!(東京さ行ってきた)2007/09/22 14:35

「それでは、グリーンの前で」、とにっこり微笑んでくださった藤原校長

〔21日朝4時起床。〕

珍しく余裕で金沢駅に着いて、午前6時8分の東京行きの電車に、これまた余裕で乗り込むことができました。

このごろ、また飛行機が多かったのですが、今回1泊付の予約を入れるタイミングが遅れたことと、今回の目的の会議が終了したら、大宮にいる友人二人と会うことになっているので、こんなコースになりました。

〔二日間をかいつまんで話すと・・・〕

21日午前10時前に東京駅着。中央線にて新宿まで、その後、丸の内線に乗り換えて東高円寺へ。民間校長で有名になったさだまさしさん、こと藤原和博先生の、杉並区和田中学校に行くためです。

実は中学校に着くまで、どなたが対応してくださるのか、知らなかった私。副校長先生と電話でお話したので、対応もそうかと思っていました。ところが事務の女性の「校長がお待ちです」の言葉にびっくり。

大変気さくなお人柄。しかし、ものすごいスピードで仕事をこなされている様子が、お振る舞いの端々から伺えました。

〔どうして会いに行ったかというと、〕

中学校における地域連携の実態(地域本部)と、中学校に芝を植えることの実情、「よのなか」科について詳しく知りたかったからでした。自分の目で見たい、直接話を聞きたいと思うと実行せずにはいられない悪癖です。そのために周囲に迷惑をかけているかもしれません。すみまっせん!!

このきっかけとなったのは、権ちゃんの通っているT中学校のT校長先生から、藤原さんの著書をお借りしたことです。実は数ヶ月前にNHKラジオで、私が大好きなアナウンサーと藤原さんのやり取りを聞いていて、その方の存在がとても印象的で、お話を聞いたことで、とても身近に感じたということがありました。

〔和田中学は殊の外、レトロ〕

な構えをしていました。都心にありながらT中学校の方が規模的には大きく、その半分~3分の2というところでしょうか(生徒の靴箱を見て判断しました。すみません、数値的な根拠を確認していません)。驚いたことに、「がんばらない」で有名な諏訪中央病院の蒲田實さんも同窓生とか。

とにかく「早くやりなさい!」というのが藤原先生の私へのアドバイス!どんどん前にという姿勢は、私の「ブログに載せたいので、写真を撮らせて下さい」とのわがままなお願いにもスマイルでこたえてくださいました。

この先生の採用されている色々な取り組みや仕掛けは、その後の会議の答えも導き出しているくらい、アイデア満載でした。なんやかんやで1時間おりました。先生が私の目の前で「これが文部科学大臣賞をとった給食だ」とおっしゃりながら、豪快に手作りパンを食べ、ミネストローネ風のスープをケンショクされていました。「そんなに自慢のパンなら、私も一口・・・」と言えばよかった、と未だに後悔しているのです。

1時間もお邪魔してしまいましたが、藤原先生は全国でも金沢市の教育委員会に対しては、好感をもっていらっしゃる印象でしたよ。

〔その後、〕

15時半から19時まで、代々木に舞台を移し、スポーツ少年団関連の会議でした。毎回、工夫を重ねて事業をしているのですが、いくつも課題ってあるもんですね。でも、もう少し変わりそうな、変われそうな取り組みができそうな、そんな印象を残しながら会議を終えました。

〔その後、〕

スポーツクラブ関係の人と、それから約20年ぶりの大学時代の友人と夕食をともにしました。あろうことか、私が二人をそれぞれ知っている、そして二人は大宮近辺に住んでいるがお互いに初対面、という三人で会うことにしてしまったのです。

でも、おかしなことに、その二人が、仕事関係でコラボレーションできる可能性を見出して、「また、よろしく!!」なんて握手している姿は、なんとも愉快で嬉しいものでした。人の出会いって不思議だね。

〔翌朝は〕

8時14分大宮発の上越周りで帰りました。昼には観光客で混みあう金沢に帰ってきましたよ。ほくほく線は予約が取れず、ずっと立ってました。座席に座れたのは、富山を過ぎた頃。

夕方から、バドミントン指導でした。すみません、あまりかいつまんでませんで。

お金の一日2007/08/31 23:35

ちょっと暗いですが、権ちゃんの肘に3ヶ月あまり入っていた金属です。結構長さが長い。この間の手術で無事摘出。

〔なんでこんなことをするようになったのか、〕

今更ながら思わずにいられません。

個人事業の資格関係での、県の支部の会計担当。ファイナンシャル・プランナー(2級です。AFPというやつ)。総合型クラブでの経理のこと。「私ほどお金がたまりにくい人間はいない」と自負していた人間が、であります。学生の頃、商業を学んだわけでなく、お金に特別の興味があったわけでもないのです。

〔不安定な天気の中、〕

朝からクラブの経理のことを、二人の担当者と作業をしました。午後、帰宅してからは、個人事業の資格関係の県支部の経理処理をしました。「向かない」証拠に、自営業の経理処理をするだけで、ものすごい肩こりになっていました。

ところが、あろうことか、「その凝りも今では来ない」ほど「図太く」なってしまいました。

でもでも、考えてみれば、ここ十年来、家計簿を付け、それを家計モニターとして提出無欠勤で続いています(システムはエクセルで作りました。PC処理を始めて速いこと速いこと)。それから、個人事業の複式簿記もなんとかこなしています(今年は、全く進んでませんが、量が大したこと無いので)。これまで、やらなかっただけで、なんとか、やればできるタイプ、いや、本当は好きなタイプ?なのかもしれません。

〔そもそも、〕

と考えてみれば、私の父方の曾祖父は、若い頃、一人南米に渡り、帰国後、金貸し業?のようなものをしていたと聞いたことがあります。高利貸しだったかどうかは定かでありませんが、その後、祖父の時代になって、運送業を興したようです。その曾祖父の長男の祖父も新しいことが好きだったらしく、村で初めて耕運機を買ったとか、伝説が今でも伝えられて(我が家周辺のみ)います。

〔少し風変わりなところがある人で、〕

戦時中は衛生兵として出兵し、広島で原子爆弾にも遭いヒバクシャとなるも、進取の気性は、年をとっても衰えず、家具店を興したり、あるメーカーのスカイ○○○という車の新車が出るたびに買い換えたり、長距離トラックの分野にも手を染めました。自分で家を設計しその家には自動ドアをつけたりし、90歳を過ぎるまで・・・おっと脱線!

なわけで、そんな血も流れているようです。

〔今日は夕方近くまで、〕

クラブのやり残していた領収書処理などをしました。あるアーティストは、新しい曲を考えるときに、自宅をものすごくキレイに片付けないと作曲に移れない、という話を聞いたことがあります。私の場合、お金を集中して扱う場合は、いろんなところを片付け始める癖があるようです。今日一日で、また一段と片付きました。経理を終えたら、実にスッキリします。余談ですが、長女の甚ちゃんはパートナーに似てものすごく片付け上手。完全に母が反面教師のようです。

〔したがって、〕

結論として我が家にとって、私が経理に携わることは非常に好ましいことかもしれません。この頃、自営業での運動・スポーツ関係の用具のほか、クラブ関係の書類や用具が増えてきて、ある部屋はほとんど物置になっていることを暴露します。やっと畳が・・・・どちらも頑張ります!