2008年、あけましておめでとうございます!2008/01/02 20:54

甚ちゃん作、ダイナマイト・ケーキ!(命名:権ちゃん)

今年初の更新です。

〔元旦の昨日も、〕

停電(我が家のみのブレーカー落ちによる)のため、インターネットが繋がらず、パートナーが一時、修理に悪戦苦闘という場面もあり、波乱含みの年明けかと思われました。

今回ばかりは・・・・と思われた一場面もありました、が、電気系に弱くない我が家のパートーナーによって無事、解決してもらうことができました。

元旦は権ちゃんの誕生日(狙って生まれた子なんです。すごいっしょ!!)。甚ちゃん作、第2弾のケーキで皆でお祝いしました。

〔今日は、〕

箱根駅伝を見て、大服をたてて、今年の言葉を習字で書初めしました(今年の言葉は後ほど)。箱根駅伝を見ていて、我が家のジョニー・デップ(次男の勘ちゃん)、「あれって鬼ごっこしてるの?」「あっつ!鬼さんはあの車ね。」実に面白い!!我母校は残念な結果となりましたが、早稲田は良かったね。明日も勝てば、これは、クラブにとっては追い風です!

〔夜、珍しく見たいテレビ番組〕

がありまして・・・これ、いい番組です!極たまに見るのですが、「プロフェッショナル~仕事の流儀~」。「今日はイチロー、ICHIRO SPECIAL」。超一流といわれる彼の流儀は?です。とても楽しみです。

今年の文字2008/01/03 09:22

昨日の書初めにて

〔昨夜のプロフェッショナル、〕

仕事の流儀を見られたでしょうか(スポーツはめったにしないけど、武道は行っているパートナーも珍しく一緒に見ましたよ)?

イチローの行っていることを脳科学者の茂木健一郎氏が裏付けられていたのが印象的でした。「同じことの繰り返し」が無心の境地に。しかし、それにしても食べるものまで同じとは・・・。それが日本の武道をはじめとする「道」とつくものに共通する、というところが非常に興味深いものがありました。

〔私は〕

武道ができないので、強いて言えば「書」や「茶」がそれに相当するでしょうか。確かに、その所作に集中するため、頭が空っぽになります。俳句もそうでしょうか。「季題」と対象物に集中する。そこに私も魅力を感じていたのかもしれません。本当にやりたいこと、やらねばならないことに集中できるとよいのですが。イチローはそれを職業にしたところに、より高い厳しさを求められているのかな、と思います。

イチローと私じゃ、レベルが違いすぎますよね。でも、何か学び取ることが、そしてそれを意識してできれば、と思いますね。

〔我が家の近所に、〕

友禅作家がいらっしゃいます。確か、14歳くらいでその道に入って約60年。以前、そのお宅を見学に言ったとき、お話を伺っていて、同じ行程の繰り返し、その中から生まれる創作力であったり集中力だと感じたことがあります。

〔あれだけの超一流選手。〕

「ストレスに負けてしまいそうになることも、重圧といつも闘って・・・」、想像を絶する重圧でしょうが、それを外に現さずに(いや、気づいていた人もいたかもしれないけど)結果を出しているプロ意識を感じました。もしかしたら、己を知って、なおも挑戦している人ほど、本当は怖さや自分が臆病だと感じているのかもしれませんね。

「3歳で野球の凄さにみせられてしまった。」、「シンプルが一番」、「野球を楽しめない自分から抜け出したい。また、野球を楽しめるようになるかも。」心に残った言葉があります。

〔イチローいわく、〕

プロフェッショナルとは「お客さんを圧倒し、他の選手を圧倒し、圧倒的な結果を残せる」人間だと。

〔ところで、私の今年の文字。〕

昨年は基本の「基」でした。もといを固め、これからここに創っていくのです。「築く」という文字を選びました。これはひらがなで「きずく」ですが、同音で「きづく」こともできれば、と思います。構築しながらも、五感を働かせて「きづける自分」であればと思いますね。

今日から出動です!

山は白銀ぇ~♪♪ だけど・・・・2008/01/06 22:13

ほんとに人が少ないね。お天気ばっちり!いいな~。

〔昨日は〕

我が家のパートナーと子どもたちは、朝7時半にスキーへ出発しました。行き先は、南部の白山系の一里野(いちりの)スキー場というところ。午前いっぱい滑ってきたようです。

人も少なく、雪質もばっちりだったとか。私は、急な打ち合わせが入り留守番(留守番をしたのは、1時間程度でしたが)部隊でした。

また、夜はバドミントン教室の初打ち会でした。松も明けない五日でしたが、たくさんの子ども達が集まってきてくれました。

子どもは元気!夜の初打ちにも参加。すごっ!

〔明日より少しの間、〕

ブログはお休みします。クラブマネジャー講習会の検定課題の事業計画書作成ができていないからです。仕事もぼちぼち始まるので、気合を入れて取り組まねば、と思っています。

週の半ばの9日には、市民スポーツ研究会と新年会、10日午前はリユースパソコンをいただきに津幡まででかけます(贈呈式があるらしい・・・)。11日より翌日に掛けて東京出張です。時間が・・・。というわけで、早く仕上がったら、更新しますね!それまで、お待ちあれ。

生きてますっ!おひさしぶり・・・2008/01/12 23:18

クリーニング作業をしてくださった方々と寄贈式にて

なんとか生きてます!

〔例によって記憶を若干さかのぼれば、〕

日体協主催のクラブマネジャー養成講習会のリポート課題である、事業計画書の提出最終日(今月11日)とその前日(10日)は、寝るタイミングを逸してしまって、結果的に2徹でした。今から寝ると朝、起きられない、ならば・・・・と言うものでした。でも、不思議と大丈夫でしたね。学生時代にもやったことがないのに、ホント不思議。ばばパワーでしょうか。

〔提出期限日(11日)の朝、〕

提出・登録しました。ホントにぎりぎりでした。出来は、40点くらいかな?最後は時間切れでした。他の人に見ていただくたびに完成度の自己評価が徐々に下がっていきました。トホホッ

一緒に受講しました3期生のみなさんはいかがでしたか?みんな揃って合格したいですよね。でも、今のままじゃ、私はきっとアウトでしょう。プレゼンまで約1ヶ月。ここからが本当のがんばりどころかもしれません。プレゼン試験当日の飛行機予約も入れたので、試験当日はなんとしてもがんばらねば、というところです。

〔「ブログお休み宣言」をしてから、〕

通常のレギュラーの仕事に加え(といっても元々大した量ではないのですが)、いくつかのクラブの来年度事業打ち合わせ、市民スポーツ研究会およびその新年会、リユースPCの寄贈式でした。経理を普段してもらっているパートの二人の友人とともに津幡町にある自閉症の方々の授産施設に参りました。

彼らが、クリーニング、ソフトのインストール作業をしてくださったので、彼らによる寄贈式と相成ったわけなんです。これからバリバリ使わせていただきますよ!皆さん、ホントにありがとうございました(というも、その後の起動に若干手間取ってしまった)。

〔11日は〕

東京で会議出席のため、私自身の実質締め切りはその日の朝、7時でした。提出後、家族を送り出して、小松空港に向かいました。眠い目をこすり、音楽がんがんかけて、窓まで開けて、眠らないように車を走らせたのでした。飛行機の中では、98%くらい眠っていました。帰りはもう少し起きていましたがね。

〔そして、今日(12日)は羽田にて朝、〕

3時半の目覚めです。会議が比較的早く終わったので、11日は21時ごろ就寝したのですが、2徹以来、どうも生活時間が狂ってしまいました。今から寝ると飛行機に乗り過ごすと思ったので、これまたその後ずっと起きてました。

かくして、無事、乗車。悪天候のため、ひどく揺れましたが、小松空港へは午前9時ごろ無事着。着くなり、メンバーから「機関紙の草稿ができた」とのメールをもらいました。自宅に帰る前に、そこの家に寄ってから帰宅です。なにしろ、中三の女の子の手書きなので・・・。

〔自宅に帰ると〕

パートナーの車がなく、「あれっ、仕事?」。娘の甚ちゃんいわく「勘ちゃんが38度の熱を出したから、お父さん、病院へ連れて行ったよ」と。上京前に喉に異変を訴えていた彼。「そういえば・・・・」。我が家、「○○は風邪を引かない」との言葉どおり、一年に一回熱を出すことがあるかないかというメンバーで、とりわけ次男は「身体は小さいけど、不死身」でした。なのに・・・・やはり、母が無茶苦茶な生活をしていたらだめですね。

なのに、午後からまた打ち合わせ、夜はバドミントンの仕事に出かける無情な母なのでした。「この母の子どもとして産まれた君達は、とても不幸だと思いますが、自分の力で生きていくのですよ」とつぶやきながら。。。。

やっぱり、「人」だな2008/01/13 23:47

芋洗い状態のスケートリンク。連休中というのもあって、ホント来るわ、来るわ!

〔昨年末から〕

長女の甚ちゃんと約束をしていた「スケートへ連れて行く」という約束を今日、やっと果たせました。折からのフィギュア・スケートブームですっかり「浅田真央ちゃんファン」になっていたのです。

朝、10時前に自宅を出発。心配された雪も大したことなく、北陸道を北上すること約1時間。11時過ぎに到着しました。富山インターを下りて間もなくの非常に便利なスポットでした。

〔金沢のスケート場も〕

全国の例にたがわず、2年前、閉鎖され取り壊しとなりました。昨年になってその後にセレモニー会館が建って、非常に残念な思いをしてました。私に言わせれば、金沢の人はあまりスケートを楽しむ習慣がないようで(それも、今思えば、もっと別の理由だったのか、と思っていますが)、いつも閑散としていたスケートリンクで平日はほぼ貸切状態で(休日も大して多くない)存分に(といっても、大した技術ではないのです)滑りに行っていたのを懐かしく思います。

〔郷里の広島(といっても、私は福山・尾道しか知りませんが)では〕

全く考えられないことです。ウインタースポーツが限られているため、スケート場は芋洗い状態(学生が行けるのが休日だったからかもしれないけど)でした(金沢にはスキーがあるもんね)。

〔年末、インターネットで〕

お隣の県の福井と富山のスケート場を検索しました。すると、HPには、福井は??でした。広島(今はもしかしたら違っているかもしれないけど)並に「勝手に滑るのを楽しむだけ」という印象の中身でした。一方、富山には各種スケート関連の教室がある、しかもレベル別にあるとのことでした。

まだ存在していたころの金沢スケート場にも教室はあまり知られていなかったので、多分、無かったかと思います。ただ、閉鎖間際の年、ある方がスケート場のインストラクターになって、教室案内が私のところに届きましたが、残念なことにタイミングが合わず、そうこうしているうちに取り壊し、ということになってしまったのです。

〔富山スケートセンター〕

到着後、間もなく無料のスケート教室が開かれました(もともと、これ狙いで行きました)。元全日本フィギュア男子3連覇、日本で初めて4回転ジャンプを跳んだ人という輝かしいキャリアを持つインストラクターは、約50名のど素人をまるで、魔法にかけたように約20分後には、ほぼ全員が簡単に滑れるようにしてしまったのです。

すばらしい指導力。決して難しいことはしません。単純なことを段階を追って指示するのです。

スケートなんて滑れなければ、何回もスケートリンクに足を運ぼうなんて思いませんよね。ちょっとでも滑れると実に面白くなるのです。次は次は?ってやりたくなるのです。

無料お試し教室が良かったので、甚ちゃんは14時からの教室に入ることになりました。やっぱり、「人」だな。「人」だよ。ここのスケート場なんて、失礼ですが、まるでバラック小屋のような簡単なつくりです。川の近くに建っているので、なお吹きさらしのイメージがあります。

面白いなと思ったのは、一般スケーターのすぐ横で、教室を見せるのです。特別、教室に入っている人を分離した時間帯でやるわけでも、接触しながらやるわけでもないのです。簡単です。まるで、プールのように、コースわけをするかのごとく、リンクの端から5分の1くらいのところに、ソフトな素材の長い四角柱を寝かせてセパレートするのです。一般リンクと場所を分けるだけです。かくして、滑れれ人がどんどん量産されていくのです。経営状態までは調べることはできませんでしたが(決して、左団扇とはいえないでしょうが)、とにかく、次から次へと良く人が出入していましたね。早速、富山の総合型クラブでは有名な(というか全国区の)N氏に電話を入れると、「富山国体の時の指導者が幸いに残っているからね」と。

特別りっぱな建物がなくても工夫次第で、いや、その工夫をするのは人なので、「人」次第でなんとかなるものだと深く感じた一日でした。